昭和中期は、敗戦の被害と混乱を乗り切り、高度経済成長を続けました。国民は「三種の神器」にあこがれました。経済が急速に発展するなかで、新しい言葉が次々に生まれました。
新語「公害」が誕生
「公害」という言葉も、昭和40年に生まれた新語でした。昭和末期になると、バブル経済に突入し、「狂乱地価」のような言葉が次々と生まれました。(参考:有宗良治)
構造化知識研究センター・昭和世相研究所の「昭和の流行語」ランキングです。年代別の流行った言葉の一覧(年別トップ10)。
昭和1ケタ代
10年代
20年代
30年代
40年代
50年代
60年代
年 | 流行語ランキング |
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昭和元年 (1926年) |
【1位】モガ・モボ
【2位】昭和 【3位】モダーン 【4位】ラジオ 【5位】円本時代 【6位】文化住宅 【7位】同潤会鉄筋アパート 【8位】アッパッパ 【9位】福本イズム 【10位】赤(赤化)、立入禁止 「モガ」とは「モダン・ガール」の略である。 「モボ」は「モダン・ボーイ」の略。 モガと呼ばれる女性たちが出現しだしたのは大正10年を過ぎたあたりからだった。 その行動の仕方もそれまでの因習や倫理観を破るものだった。 もっと驚かせたのはその服装や髪形だった。 大正の初めまで女性の服装はほとんどが和服であり、髪形もそれに合う丸髷(まげ)などの日本髪が主流だった。しかし、カフェ(カフェー)の女給やデパートの店員、バスガールなど女性の社会進出が盛んになるとともに、動きやすいために髪を束ねるだけの束髪が増え、洋服姿も見られ始めた。 洋髪の中でも中でもとくに人気があったのは、耳の所だけにふっくらとウエーブをかける「耳かくし」と言われる髪形。一世を風靡した。モガたちは、こうした耳かくしなどの洋髪に派手な柄の洋服を着て東京・銀座などに現れはじめた。 西暦1926年は12月24日までが大正15年。12月25日以降わずか1週間が昭和元年である。 大正デモクラシーの成果としての普通選挙法は、弾圧の治安維持法と抱き合わせであった。昭和とは「明るく平和」を意味する。大正ロマンは不況と戦争へとのみ込まれて行く。 |
昭和2年 (1927年) |
【1位】ボンヤリした不安
【2位】モラトリアム 【3位】シャン 【4位】イット(性的魅力) 【5位】 【6位】チャールストン 【7位】第1球!投げました 【8位】岩波文庫 【9位】 【10位】大衆 【11位】マルクスボーイ 【12位】何が彼女をそうさせたか 昭和2年(1927年)3月15日の「東京渡辺銀行」の休業に始まった金融恐慌は、全国的な取り付け騒ぎにまで広がった。 政府は4月22日から2日間、全国銀行の一斉休業と、三週間のモラトリアム(支払猶予令)という異例の対策を実施する。これで恐慌はやっと一段落した。広範囲の取り付け騒ぎは日本で初めてだった。平時のモラトリアムは世界にもほとんど前例がなかった。 |
昭和3年 (1928年) |
【1位】普通選挙
【2位】人民の名において 【3位】怪文書 【4位】テレビジョン 【5位】モンパリ 【6位】フラッパー 【7位】マネキンガール 【8位】新民謡 【9位】チャンバラ 【10位】相撲放送 「人民の名において」とは、この年締結された「パリ不戦条約」に盛り込まれた文言だ。条約は戦争の放棄を「各国の人民の名において厳粛に宣言」していた。 これが、「明治憲法違反では」と論議になり、流行語になった。天皇主権に反すると攻撃されたのだ。 憲法問題を想定していた政府は締結の際に米国からこの部分は「人民のために」と同じ意味であるとの覚書を取り付けていたが、一般には伏せられていた。 騒ぎは結局、政府がこの文言は「憲法の条章より観(み)て日本国に限り適用なきものと了解する」と宣言することで落着した。 |
昭和4年 (1929年) |
【1位】大学は出たけれど
【2位】エレベーターガール 【3位】緊縮 【3位】東京行進曲 【4位】モダンライフ 【5位】ステッキガール 【6位】カジノ・フォリー 【7位】赤い灯青い灯 【8位】オールド・おす 【9位】ターミナル・デパート 【10位】説教強盗 金融恐慌のあらしが吹き荒れた。 小津安二郎監督の松竹映画「大学は出たけれど」が大ヒットし、題名がこの年の流行語となった。 当時、大卒者の3人に1人は就職できなかった。 その背景には、不況とともに大卒者の急増もあったらしい。産業界は、第一次大戦の好況期には年々増えてゆく大卒者を歓迎したが、不況の波に襲われると、新規採用を大幅に減らした。 |
昭和5年 (1930年) |
【1位】金解禁
【2位】男子の本懐(ほんかい) 【2位】男装の麗人(れいじん)(水の江滝子) 【3位】統帥権干犯 【4位】流線型 【5位】エロ・グロ・ナンセンス 【6位】オンパレード 【7位】OK 【8位】女給 【9位】赤玉 【10位】カフェー 【9位】失礼しちゃうわ 【10位】愛して頂戴ね 「男装の麗人(れいじん)」とは、川島芳子(中国名・金璧輝)のニックネームである。 1907年、清朝の王族、粛親王の第14王女として中国・北京で生まれる。1913年、親王と親交のあった大陸浪人、川島浪速の養女となる。長野県の松本高等女学校中退。 1927年、蒙古(もうこ)独立運動家の遺児と結婚。3年足らずで離婚し、「金璧輝」と名乗って、上海などで清朝復興のために日本陸軍の特務機関員らと情報活動に従事。上海事変や日本軍の熱河侵攻にもかかわったとされる。男装や軍服姿が小説や映画などで取り上げられ、「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」ともてはやされた。 1945年10月、国民党政府に逮捕され、「漢奸」(売国奴)として1、2審判決とも死刑。1948年3月25日、銃殺刑に処された。 【赤玉(大阪)】 「赤玉」の前身は大正14年、大阪・天神橋に店開きした「赤玉日本料理部」だった。翌年、料理部の一角にカフェーを開業し、昭和2年、道頓堀に移ってから規模を広げた。 街には、大正デモクラシーの名残をとどめた放埓な空気があふれていた。流行の服をまとったモボ(モダン・ボーイ)やモガ(モダン・ガール)がさっそうと歩いていた。「エロ・グロ・ナンセンス」が時代の標語になった。カフェーは、そんな爛熟した時代の申し子だった。 |
昭和6年 (1931年) |
【1位】生命線
【2位】電光石火 【3位】減俸 【4位】ルンペン 【5位】トーキー 【6位】エアガール 【7位】いやじゃありませんか 【8位】黄金バット 【9位】のらくろ 【10位】チンドン屋 【10位】もちよ 日本が満州事変を起こした年だ。 日本帝国陸軍がシナリオを書き、主役となった自作自演のドラマ。 9月18日の夜。場所は満州・奉天(現中国東北部・瀋陽)郊外の柳条湖。 そこを通っていた日本が経営する南満州鉄道のレールを、日本軍が爆破し、中国軍にやられたといって、中国軍に戦争をしかけたのである。狙いは満州を日本の支配下に置くことだった。国際連盟から「日本の軍事行動は侵略行為だ」と非難された。 当時は、2年前から始まった大恐慌の真っただ中。街には失業者があふれ、農村はコメとマユの暴落で窮乏して娘を売るほかないような悲惨さであった。はやった流行歌が「酒は涙かため息か」と「ルンペン節」。 |
昭和7年 (1932年) |
【1位】自力更生
【2位】欠食児童 【3位】昭和維新 【4位】パーマネント(ウェーブ) 【5位】挙国一致 【6位】話せばわかる・問答無用 【7位】天国に結ぶ恋 【8位】時局 【9位】王道楽土 【10位】天国に結ぶ恋 【11位】ズロース 前年の凶作により、東北・北海道では約45五万人が飢餓線上をさまよい、欠食児童は全国で20万人以上、娘の身売りも続出した。 恐慌が深まるにつれて、農民生活の救済を掲げた「国家革新」の思想が台頭する。農本主義と反欧米的排外主義を特徴とする急進思想だ。その危ない思想は、昭和32年に暴発する。「一人一殺」「一殺多生」を標ぼうし要人暗殺に走った「血盟団事件」、それを継承しクーデターを企図した海軍青年将校と橘孝三郎らによる「5・15事件」だ。 五・一五事件の後、挙国一致内閣が登場。護憲三派内閣以来の政党内閣は8年で幕を閉じた。 |
昭和8年 (1933年) |
【1位】非常時
【2位】防空演習 【3位】42対1 【4位】転向 【5位】ヤートナ ソレ ヨイヨイ(東京音頭) 【6位】漫才 【7位】三原山自殺ブーム 【8位】ヨーヨー 【9位】ヅカガール 【10位】サクラ読本 東京音頭(作詞・西條八十、作曲・中山晋平)は昭和8年7月に発売。日本橋芸者だった小唄勝太郎と、三島一声の吹き込み。レコードは120万枚の大ヒットとなり、東京都内各地で盆踊り大会が開催されるようになった。大衆動員に成功した最初の歌といわれる。これに対抗し、大阪では大阪音頭も作られるなど、その後各地で「ご当地音頭」が作られた。 |
昭和9年 (1934年) |
【1位】パパママ論争
【2位】帝人事件 【3位】司法ファッショ(検察ファッショ) 【4位】国防色 【5位】明鏡止水 【6位】忠犬ハチ公 【7位】開襟シャツ 【8位】国防 【9位】泣くなよしよし 【10位】軍備無条約時代 【11位】職業野球(プロ野球) 帝人事件とは、帝国人造絹糸(帝人)の株式売買をめぐる疑獄事件。裁判では全員無罪となり、検察に司法ファッショという批判が加えられた。 |
年 | 流行語ランキング |
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昭和10年 (1935年) |
【1位】新官僚(革新官僚)
【2位】国体明徴運動 【2位】月賦販売 【3位】天皇機関説 【4位】ソシアル・ダンピング 【5位】芥川賞・直木賞 【6位】アンゴラウサギ 【7位】「あなぁた」「なぁんだい」 【8位】喫茶店 【9位】ハイキング 【10位】暁の超特急 |
昭和11年 (1936年) |
【1位】今からでも遅くない
【2位】前畑ガンバレ(ベルリン五輪) 【3位】準戦時体制 【4位】選挙粛正 【5位】庶政一新 【6位】おたくのダンナに気をつけて 【7位】ああそれなのに 【8位】忘れちゃいやよ(渡辺はま子の歌) 【9位】前畑ガンバレ! 【10位】下腹部 【11位】大日本帝国 ベルリン五輪で、水泳の平泳ぎ200メートル(女子)に出場した前畑秀子さんが、日本女性として史上初の金メダルを獲得した。ラジオの実況放送をしていたNHKの河西三省アナウンサーが「前畑ガンバレ!」と連呼し、日本中を大いに沸かせた。 前畑氏は4年前の昭和7年(1932年)のロサンゼルス五輪で初めて五輪に出場。首位に0・1秒差で銀メダルに輝いた。一度は引退を決意したものの周囲の声に奮起し再び五輪に挑戦する。 22歳で出場したベルリン五輪では、決勝戦で地元ドイツのゲネンゲル選手とのデッドヒートを展開。 1914年5月、和歌山県橋本市生まれ。小学校3年から水泳を始める。小学6年で平泳ぎ50メートル、100メートル、200メートルの日本一に。名古屋・椙山(すぎやま)女学園卒。 ベルリン五輪の翌年、医者の兵藤正彦氏と結婚。名前が兵藤秀子(ひょうどう・ひでこ)になった。1983年(昭和58年)、水泳指導中に脳出血で倒れたが、水泳リハビリで病気を克服した。1995年2月、急性腎(じん)不全のため逝去。享年80歳。 |
昭和12年 (1937年) |
【1位】銃後
【2位】国民歌謡 【3位】腹切り問答 【4位】持てる国と持たざる国 【5位】総動員 【6位】最後の関頭 【7位】千人針・慰問袋 【8位】純綿 【9位】国体の本義 【10位】馬鹿は死ななきゃ直らない 昭和11年からNHKラジオが国民歌謡という名の音楽番組を始め、ここで紹介された曲も「国民歌謡」と呼ばれるようになった。NHKが独自に音楽家に委嘱したり公募したりして、流行歌とは一線を画す曲づくりを進め、世代を問わず歌える曲として人気を呼んだ。 大東亜戦争に突入すると軍国調のものが増えた。番組名も「われらのうた」、さらに「国民合唱」と変わり敗戦まで続いた。戦後の昭和21年には「ラジオ歌謡」として復活し、昭和37年まで放送された。 |
昭和13年 (1938年) |
【1位】相手とせず
【2位】大陸の花嫁 【3位】黙れ! 【4位】灯火管制 【5位】代用品 【6位】買いだめ 【7位】抱き合わせ 【8位】新秩序 【9位】満州娘 【10位】恋の越境 「大陸の花嫁」とは、戦時中、国策に従い、満蒙開拓団の見も知らない青年と結婚するために、旧満州(現中国東北部)へ渡った女性たちだ。 厚生労働省によると、開拓団として大陸へ渡った日本人は約27万人。このうち「大陸の花嫁」は何人だったかなどのデータは残っていない。 |
昭和14年 (1939年) |
【1位】興亜奉公日
【2位】複雑怪奇 【3位】総親和 【4位】靖国の母(九段の母) 【5位】国民服 【6位】日の丸弁当 【6位】産めよ殖やせよ★ 【7位】白紙(しらがみ) 【8位】隣組 【9位】ヤミ 【10位】鍬の戦士 近衛内閣と交代した平沼内閣は独ソ不可侵条約の成立を前に欧州情勢は「複雑怪奇」と退陣、満州・ソ連国境ノモンハン事件にも敗れたのだった。つづく阿部内閣も「総親和」と第2次世界大戦不介入を言うばかり。あかるい「トントントンカラリ」の隣組の歌は好評だったが、国際的な隣組をつくらない外交無策の連続。 |
昭和15年 (1940年) |
【1位】ぜいたくは敵だ
【2位】バスに乗りおくれるな 【3位】新体制運動 【4位】聖戦 【5位】紀元2600年 【6位】零戦(ゼロセン) 【7位】一億一心 【8位】あのねおっさん、わしゃかなわんよ 【9位】暁に祈る 【10位】ハニホヘトイロハ 「ぜいたくは敵だ」は国民に耐乏を強いる標語。 第2次近衛内閣は「新体制」運動を唱えた。1国1党、臣道実践、大政翼賛の精神運動であった。 英語からの翻訳「バスに乗りおくれるな」が合言葉になったのは皮肉だ。「ぜいたくは敵だ」という標語が飛び出し、喜劇俳優高瀬実乗の「あのねおっさん、わしゃかなわんよ」の流行は、国民の本音にマッチしたのだろう。 |
昭和16年 (1941年) |
【1位】大東亜戦争(太平洋戦争)
【2位】ABCD包囲陣 【3位】戦陣訓 【4位】翼賛 【5位】月月火水木金金 【6位】徒食は恥だ 【7位】米の配給 【8位】なんでも行列買い 【9位】産めよふやせよ国のため 【10位】国民学校 【10位】外食券 【10位】翼賛型美人★ 「ABCD包囲陣」は米、英、中国、オランダの対日包囲態勢をいう。ついに無謀な戦争に突入する。ここにかかげた10のことばは戦争を物語るごく一端である。「米の配給」をはじめ、生活物資はとぼしくなる。「なんでも行列買い」。米や砂糖の配給をもらうため、東京では幽霊人口40万に達したというから驚く。 |
昭和17年 (1942年) |
【1位】大本営発表
【2位】転進 【3位】見えざる敵を防げ 【4位】翼賛選挙 【5位】非国民 【6位】少国民 【7位】欲しがりません勝つまでは 【8位】初空襲 【9位】防空頭巾・バケツリレー 【10位】衣料切符 【10位】陰膳★ ハワイ、マレー沖海戦をはじめ、日本国民は緒戦に酔った。しかし、昭和17年(1942年)4月「東京その他の初空襲」に大ショックを受け、6月ミッドウェー海戦に大敗して戦局は曲がり角に立った。ガダルカナル島作戦を「大本営発表」が「転進」と表現するに至って、国民は眉(まゆ)にツバをするようになった。「防空頭巾」登場。「非国民」のことばにおののき、子供を「少国民」とおだてた。 |
昭和18年 (1943年) |
【1位】撃ちてし止まむ
【2位】玉砕 【3位】元帥の仇は増産で 【4位】敵性語 【5位】愛国百人一首 【6位】学徒出陣 【7位】女子勤労挺身隊 【8位】買い出し 【9位】金鵄あがって15銭 【10位】金属回収・節米パン 【10位】女学校では英語はいらぬ★ 米国発祥のベースボールは1943年(昭和18年)に敵性競技とされ、用語が日本語化された。ストライクは「よし」、ボールは「だめ」、アウトは「ひけ」、セーフは「よし」。 この年、アマチュア野球の主要大会は開催が禁止された。娯楽を許さない風潮が強まる中、職業野球は必死に存続を図った。戦闘帽と軍服のような国防色(カーキ色)を用いたユニホームを着用。慰問試合も積極的に行ったが、時代の流れには逆らい切れない。1944年11月、ついに一時休止が決まった。 |
昭和19年 (1944年) |
【1位】鬼畜米英
【2位】B29 【3位】天王山 【4位】大和一致 【5位】松根油 【6位】国民酒場 【7位】雑炊食堂 【8位】同期の桜 【9位】神風特攻隊 【10位】疎開 【10位】すいとん 東京で5月5日から警視庁の指導で「国民酒場」104店がオープンした。酒を供する店と、ビールを売る店に分けられ、1人酒1合75銭、ビールは1本2円の公定価格で飲めるとあって大にぎわい。6月には店の数も増やし、一人当たりの割り当ては変わりないが、各店とも販売量を倍増して需要にこたえた。昼は雑炊食堂、夕方から国民酒場に変わる店もあった。 |
年 | 流行語ランキング |
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昭和20年 (1945年) |
【1位】ピカドン
【2位】虚脱状態 【3位】1億総ざんげ 【4位】進駐軍 【5位】民主化 【6位】4等国 【7位】戦犯 【8位】真相はこうだ 【9位】DDT 【10位】パンパン 敗戦は、「天皇を連合国軍司令官に従属させる(subject to)」という、米英ソ中が戦争処理を決めたポツダム宣言を受諾する形において行われた。しかし、日本側は「subject to」を「の制限下におく」と訳し、敗戦を「終戦」、「占領」を「進駐」と称した。敗戦直後の東久邇宮内閣は、指導層の責任をごます「一億総ざんげ」を説き、国内で起きた「戦争責任追及」の動きをかわそうとする。 敗戦後の混乱で、ヤミ市に復員兵あふれた。浮浪児が横行、栄養失調に泣いた。 |
昭和21年 (1946年) |
【1位】人間天皇宣言
【2位】あっ、そう 【3位】タケノコ生活 【4位】新円 【5位】こんな女に誰がした 【6位】かつぎ屋 【7位】ハバ・ハバ 【8位】オフ・リミット 【9位】カストリ文化 【10位】赤線・青線 【11位】愛される共産党 【12位】ご名答! 昭和21年元日に昭和天皇が発した詔書(しょうしょ)は、冒頭に5箇条の御誓文が列挙され、次に、天皇と国民のきずなは信頼と敬愛によって結ばれたものであって、神話や伝説によるものではないことが明示された。この詔書は、陛下の意図とは別に「人間宣言」として有名になった。戦時中「天皇は生き神様」と教え込まれてきた国民にとっては、新鮮な驚きであった。 |
昭和22年 (1947年) |
【1位】不逞(ふてい)の輩
【2位】隠匿(きんとく)物資(隠退蔵物資) 【3位】裏口営業 【4位】ベビーブーム 【5位】六三制 【6位】ストリップショー 【7位】ブギウギ 【8位】ブギウギアプレゲール 【9位】集団見合い 【10位】土曜夫人 吉田茂首相は昭和22年の年頭挨拶で、官公庁と民間のゼネスト(全国一斉ストライキ)が計画が進められていることについて、政争のためいたずらに経済危機を絶叫して社会不安を増進させ、生産を阻害するばかりか経済再建の挙国一致を破ろうとするような者がいる」という趣旨の言葉を述べたうえで、「かかる不逞(ふてい)の輩(やから)は」と続けた。この言葉が反発を買い、労働組合側は2月1日のゼネスト決行を宣言する。しかし、占領軍のマッカーサー元帥がスト中止命令を出したため、前日にスト中止が決まった。 |
昭和23年 (1948年) |
【1位】サマータイム
【2位】てんやわんや 【3位】斜陽族 【4位】ノルマ・ダモイ・筋金入り 【5位】おかま、男娼 【6位】5せる 【7位】冷たい戦争 【8位】クリスチャンディオールのニュールック 【9位】110番 【10位】主婦連 【11位】老いらくの恋 昭和23年、連合国軍総司令部(GHQ)の指令でサマータイム(夏時間)が導入された。サマータイムは日の長い夏の期間中、時計を1時間進めて、日照時間を有効に活用しようという制度だ。しかし、労働者の残業や主婦の家事がむしろ増え、不評で4年で廃止されてしまうことになる。 |
昭和24年 (1949年) |
【1位】ワンマン
【2位】竹馬経済 【3位】3バン 【4位】厳粛なる事実 【5位】つるし上げ 【6位】駅弁大学 【7位】ニコヨン 【8位】ギョッ、アジャパー 【9位】さかさクラゲ 【10位】フジヤマのトビウオ 【10位】満年齢★ ■ニコヨン ニコヨンとは日雇い労働者の俗称だ。職安から支払われる定額日給が240円だったためである。100円が2個と、プラス40円だから、ニコヨンと呼ばれた。 当時、失業対策として、公共の土木事業が行われた。それによって日雇い労働者が増加した。東京都は昭和24年の6月11日、東京都の失業対策事業の日雇いの日当が「245」円に設定した。それが、ニコヨンの起源だった。 職業安定所(ハロワーク)紹介の日雇い労働の代名詞にもなった。 |
昭和25年 (1950年) |
【1位】曲学阿世(きょくがくあせい)
【2位】レッドパージ 【3位】特需 【4位】一辺倒 【5位】38度線(女性の貞操) 【6位】アメション 【7位】つまみぐい 【8位】BG 【9位】オー・ミステーク 【10位】とんでもハップン 【11位】アルサロ 【12位】日曜作家 【13位】エチケット アルサロとは、アルバイト・サロンの略。時給制の素人が接客を行う店だった。素人、玄人のホステスが混在する「シロバイト」「クロバイト」二本立ての店もあった。戦前のカフェー経営者は、戦後復興の波に乗ってアルサロ文化を花開かせていった。 「アルバイト」は、ドイツ語の労働、仕事、研究だが「学生が学業のかたわらする労働」を表現する日本語として、戦後定着した。 |
昭和26年 (1951年) |
【1位】逆コース
【2位】老兵は死なず 【3位】3万台・4万台 【4位】三越にはストもございます 【5位】スポンサー 【6位】三等重役 【7位】スチュワーデス 【8位】エントツ 【9位】親指族 【10位】南京虫 |
昭和27年 (1952年) |
【1位】血のメーデー
【2位】ヤンキー・ゴー・ホーム 【3位】火炎瓶 【4位】君の名は 【5位】PR時代 【6位】恐妻 【7位】パンマ 【8位】エッチ 【9位】風太郎 【10位】チター 【11位】黄変米(おうへんまい) |
昭和28年 (1953年) |
【1位】戦力なき軍隊
【2位】バカヤロー解散 【3位】さんずいへん 【4位】洗脳 【5位】8頭身 【6位】君の名は 【7位】30娘 【8位】街頭テレビ 【9位】サイザンス 【10位】むちゃくちゃでござりますがな 【10位】すれちがい★ 吉田首相の衆院でのバカヤロー発言がもとで解散・総選挙というバカげたお芝居だった。やはり末期的症状である。発足したテレビは電気紙芝居とやじられはしたが、世相もブラウン管を意識して身づくろいするようになる。「8頭身」「君の名は」に女心は活性化する。 |
昭和29年 (1954年) |
【1位】岸壁の母
【2位】シャネルの5番 【3位】乱闘国会 【4位】円オンリー時代 【5位】軽文化 【6位】トランジスタ 【7位】パートタイマー 【8位】ソーラー族(ミーハー族よりひとつ上) 【9位】ロマンスグレー 【10位】ヘプバーン・スタイル 【11位】疑獄の時代 【12位】燗頭の急務 【13位】ゴジラ 【14位】死の灰 ■乱闘国会 昭和29年6月3日、改正警察法を可決・成立させるため、与党・自由党は会期末の国会を2日間延長しようとした。しかし、野党の左右社会党はこれに強く反発。会期延長のための衆院本会議を開かせないよう、本会議場の議長席、事務総長席を占拠した。 一方、自由党議員たちは、堤康次郎議長をガードして議長席につかせようとしたため、与野党議員が激しく議長席を奪い合う大乱闘となった。このため、堤議長が警察官200人を本会議場に導入し、やっと会期延長が決まった。 この後、野党の審議拒否が続くなか、政府・与党はさらに10日間会期を延長、改正警察法を成立させた。 改正警察法は戦後、国家地方警察と自治体警察の二本立てとなっていた警察組織を都道府県警察に一元化することを骨子としたものだが、野党側は警察の中央集権化を狙ったものと反対した。 初めての乱闘国会は国民に衝撃を与え、与野党を問わず国会への批判が強まった。 |
年 | 流行語ランキング |
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昭和30年 (1955年) |
【1位】家庭電化時代
【2位】投書夫人 【3位】ラインファッション 【4位】最低ネ、最高ネ 【5位】兵隊の位で言うと 【6位】M+W時代 【7位】キーパンチャー 【8位】ボディービル 【9位】ノイローゼ 【10位】頼りにしてまっせ |
昭和31年 (1956年) |
【1位】もはや戦後ではない
【2位】神武景気 【3位】1億総白痴化 【4位】戦中派 【5位】太陽族 【6位】ドライ・ウェット 【7位】ロックンロール 【8位】なんと申しましょうか 【9位】深夜喫茶 【10位】白線(パイセン) 【10位】書きますわよ★ |
昭和32年 (1957年) |
【1位】低姿勢
【2位】ケセラセラ 【3位】よろめき 【4位】決定的瞬間 【5位】有楽町で逢いましょう 【6位】才女時代 【7位】30円文化 【8位】ペンギン族 【9位】留年 【10位】ゲタバキ住宅 |
昭和33年 (1958年) |
【1位】ミッチーブーム
【2位】なべ底不況 【3位】神風タクシー 【4位】ながら族 【5位】ハイティーン 【6位】フラフープ 【7位】私は貝になりたい 【8位】スキャンティ 【9位】いやーな感じ・イカす 【10位】団地族 【10位】ミッチーブーム |
昭和34年 (1959年) |
【1位】曲がり角
【2位】黒の時代 【3位】コイン文化 【4位】私の選んだ人 【5位】がめつい 【6位】ヨワい 【7位】カックン 【8位】ファニー・フェース 【9位】トランジスタ・グラマー 【10位】カミナリ族 |
昭和35年 (1960年) |
【1位】声なき声
【2位】ダッコちゃん(ウインキー) 【3位】寛容と忍耐 【4位】所得倍増 【5位】ZENGAKUREN 【6位】リバイバル 【7位】主婦第二職業論 【8位】インスタント 【9位】家つきカーつき婆ぁ抜き 【10位】トップ屋 【11位】黄金の60年代 戦後、専業主婦が増えるにつれ、「主婦とは何か」という論争がしばしばメディアなどを舞台に交わされるようになった。昭和30年(1955年)、評論家の石垣綾子と坂西志保の間で交わされた「主婦第二職業論」は第一次主婦論争と言われる。主婦は職業を持つべきか、それとも主婦自体、ひとつの職と考えるべきかが争点だった。続いて1960年には第二次主婦論争として磯野富士子を中心に、「家事労働に賃金価値はあるか」が問われ、さらに1972年、武田京子の「主婦こそ解放された人間像」という主張を巡る論争が繰り広げられた。 |
昭和36年 (1961年) |
【1位】レジャーブーム
【2位】地球は青かった 【3位】何でも見てやろう 【4位】上を向いて歩こう 【5位】ドドンパ 【6位】プライバシー 【7位】巨人大鵬卵焼き 【8位】わかっちゃいるけどやめられない 【9位】不快指数 【10位】女子学生亡国論 安保の政治の季節から、所得倍増の経済の季節へ。そして「レジャーブーム」。昭和35年(1960年)に500万台のテレビは、昭和36年(1961年)に1000万台へ、ラジオは1000万台を割る。「上を向いて歩こう」「いつでも夢を」「何でも見てやろう」ソ連の有人人工衛星のガガーリンは「地球は青かった」と報告した。農業基本法は「三ちゃん農業」への地ならしとなった。 |
昭和37年 (1962年) |
【1位】人づくり
【2位】青田刈り 【3位】スモッグ 【4位】マイカー時代 【5位】交通戦争 【6位】サリドマイド禍 【7位】残酷物語 【8位】チ-37号ニセ札 【9位】吹けば飛ぶよな 【10位】無責任時代 【10位】回転レシーブ★ 世の中平穏。高度成長、「マイカー時代」。しかし「スモッグ」「交通戦争」の副作用もひしひしと市民生活をおかす。公害排出のみなもとである企業は資本主義の自由をタテに無責任論をふりかざす。植木等らの映画『日本無責任時代』が多くの観客を呼び、彼らのうたう『スーダラ節』がはやった。 |
昭和38年 (1963年) |
【1位】カワイ子ちゃん
【2位】OL 【3位】スーパー 【4位】へんな外人 【5位】カギっ子 【6位】三ちゃん農業 【7位】バカンス 【8位】シェー 【9位】いいからいいから、気にしない 【10位】ハッスル 俗耳に入りやすい池田内閣の月給倍増論のもたらしたものは、物価の上昇でもあった。実質倍増はいつ実現するのか、庶民にとっては不安であった。とはいえ、「バカンス」への夢もきざす、レジャーブームよりもっと大型な何かを感じさせたのだろうか。「カギっ子」「カワイ子ちゃん」「OL」「へんな外人」など新人種も登場。 |
昭和39年 (1964年) |
【1位】おれについてこい
【2位】ウルトラC 【3位】新幹線 【4位】前がん症状 【5位】寛容と調和 【6位】東京サバク 【7位】モータリゼーション 【8位】みゆき族 【9位】マンション 【10位】トップレス 経済力と技術力の「東海道新幹線」が東京五輪めざして走り込んだ形だ。日本は国際通貨基金の8条国に移行し、お金持ち国の仲国入りをする。トンキン湾事件からアメリカは本格的にベトナムに介入する。「おれについてこい」「ウルトラC」の五輪のかげに、のちのフーテン族の先駆となる「みゆき族」があらわれて消えた。 |
年 | 流行語ランキング |
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昭和40年 (1965年) |
【1位】期待される人間像
【2位】ベ平連 【3位】ティーチイン 【4位】標準食費 【5位】ジャルパック 【6位】エレキ族 【7位】しごき 【8位】TPO 【9位】おめえ、ヘソねえじゃねえか 【10位】ブルーフィルム 【10位】カッコいい★ 池田低姿勢内閣をひきついだ佐藤栄作内閣は高姿勢に転じ日韓会談にけりをつけ、沖縄問題とベトナム対処に積極的に乗り出した。高度成長から安定成長に看板をぬりかえた。海のかなたではビートルズの人気が急上昇、エレキギター・ブームは日本にもおしよせた。若者の反抗心をかきたてる何ものかが、ミニスカートとともにジェット機に乗ってやってきたのだった。 |
昭和41年 (1966年) |
【1位】黒い霧
【2位】バノコン 【3位】クロヨン・トーゴーサン 【4位】過疎 【5位】全共闘 【6位】丙午(ひのえうま) 【7位】3C時代 【8位】ミニスカート 【9位】ヘンシーン 【10位】原宿族 一連の政界の不祥事をさして黒い霧という。昭和41年(1966年)年末の解散、昭和42年(1967年)正月総選挙となった。関連して「マッチポンプ」「ひとつぐらいいいじゃないか」の流行語も生まれた。「ミニスカート」が爆発的に流行した、というよりも流行させられた。女性のパンツスタイルの定着に加えて、女性解放の動き、パンストの開発という素地があった。 |
昭和42年 (1967年) |
【1位】ボイン
【2位】核家族 【3位】対話 【4位】戦無派 【5位】爆破狂 【6位】蒸発 【7位】サユリスト 【8位】カッコイイ 【9位】ヒッピー族 【10位】アングラ族 昭和42年(1967年)初の総選挙で自民党ははじめて得票率が50%を割った。4月には「対話」の美濃部革新都政が誕生。危機感をもった佐藤首相は、高姿勢、積極外交を展開する。小笠原、沖縄の返還に前進、米軍の北爆支持を明らかにした。遠く昭和8年(1933年)のキングコングに発する怪獣がここにきてガメラなど120匹が異常発生した。ちまたには「アングラ」「フーテン」「ヒッピー」が発生。 |
昭和43年 (1968年) |
【1位】明治100年(年)
【2位】昭和元禄 【3位】未来学 【4位】大きいことはいいことだ 【5位】タレント候補 【6位】ピーコック革命 【7位】ハレンチ 【8位】サイケ 【9位】とめてくれるなおっかさん 【10位】ゲバ棒 【10位】失神★ 「明治100年」「昭和元禄」といいながら、学園は荒れに荒れて昭和44年(1969年)へとのめり込んで行く。大学紛争のひとつのシンボルが「ゲバ棒」であり、東大駒場のポスターに「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」とあった。「未来学」に「大きいことはいいことだ」。そこへ「3億円事件」の発生。 |
昭和44年 (1969年) |
【1位】断絶
【2位】金帰火来 【3位】すぐやる課 【4位】造反有理 【5位】フォークゲリラ 【6位】5月病 【7位】オー・モーレツ 【8位】あっと驚くタメゴロー 【9位】ニャロメ 【10位】はっぱふみふみ 沖縄復帰を3年後にひかえて総選挙があった。大学紛争116校のうち、65校が昭和44年(1969年)に持ち込まれ、沈静化する。新左翼勢力は四分五裂して内ゲバへ。ガソリンのCM「オーモーレツ」が黄金の1960年代のモーレツ社員の挽歌(ばんか)となった。ポップワード「あっと驚くタメゴロー」「はっぱふみふみ」「ニャロメ」などが続出。 |
昭和45年 (1970年) |
【1位】怨(おん)
【2位】進歩と調和 【3位】ハイジャック 【4位】歩行者天国 【5位】ソーレツ社員 【6位】ウーマン・リブ 【7位】ビューティフル 【8位】ウハウハ 【9位】わるのり 【10位】鼻血ブー 水俣病闘争のうらみのシンボルとしての「怨(おん)」。公害をどうしても解決しなければならないとして公害国会が開かれ、環境庁も生まれた。大阪万国博のテーマ「進歩と調和」の調和に成長のかげりを読むことができる。昭和43年(1968年)大きいことはいいことだ→昭和44年(1969年)オーモーレツ→昭和45年(1970年)ウハウハの系列。 |
昭和46年 (1971年) |
【1位】ドルショック
【2位】日本株式会社 【3位】ニア・ミス 【4位】シラケ 【5位】フィーリング 【6位】脱~ 【7位】~リブ 【8位】ゴミ戦争 【9位】ディスカバー・ジャパン 【10位】ガンバラナクッチャ 【10位】ピース、ピース★ この年最大の事件は「ドルショック」であった。ニクソン米大統領が近く中国訪問すると発表した。この2つのニクソンショックは、日本の頭越しの処置であった。ウーマンリブを元祖とする「オバアチャン・リブ」「ヒューマン・リブ」など「~リブ」が続出。パンタロン、ホットパンツなど、女性のパンツスタイルが定着した。 |
昭和47年 (1972年) |
【1位】日本列島改造論
【2位】三角大福 【3位】ニー好(ニーハオ) 【4位】エンキリ 【5位】ひそかに情を通じ 【6位】総括する 【7位】若さだよヤマちゃん 【8位】恍惚の人 【9位】恥ずかしながら 【10位】あっしにはかかわりのねえ 【10位】ポルノ★ 沖縄復帰・日中復交の年・あっしにはかかわりのねえ 「列島改造論」の田中角栄内閣の登場。「決断と実行」によって「日中復交」をなしとげる。経済成長が息切れしているときの列島改造論は無理な注文であった。「若さだよ、ヤマちゃん」の呼びかけはあっても「あっしにはかかわりのねえことでござんす」とニヒルにもなる。 |
昭和48年 (1973年) |
【1位】オイルショック
【2位】狂乱物価 【3位】いったい日本はどうなるのだろう 【4位】せまい日本そんなに急いでどこへ行く 【5位】じっと我慢の子であった 【6位】地本主義 【7位】デマゴン 【8位】ぐうたら 【9位】いま、なんどきすかぁ 【10位】即~ 「オイルショック」のもたらすインフレと不況、「じっと我慢の」時がきた。「せまい日本そんなに急いでどこへ行く」のユックリズムの哲学が共感を呼ぶ。小松左京の『日本沈没』がミリオンセラーになった。遠藤周作の「ぐうたらシリーズ」も売れた。 |
昭和49年 (1974年) |
【1位】金脈
【2位】青天のヘキレキ 【3位】千載一遇 【4位】節約は美徳 【5位】超能力 【6位】やさしさ 【7位】ストリーキング 【8位】…と日記には書いておこう 【9位】このシゲキがたまらないのです 【10位】英語でやってごらんよ 「金脈」には元もと金鉱脈の意味しかなかったが月刊『文芸春秋』の「田中角栄研究-その金脈と人脈」によって金づるという意味が加わった。金脈問題で田中首相は辞職、「青天のヘキレキ」の三木武夫内閣登場。不況に悪徳商法がはびこる。CM「……と、日記には書いておこう」--ほんとはちがうんだけどというシラケがただよう。 |
年 | 流行語ランキング |
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昭和50年 (1975年) |
【1位】クリーン
【2位】複合汚染 【3位】チカレタビー 【4位】ツッパリ 【5位】乱塾 【6位】あんたあの娘(こ)のなんなのさ 【7位】わたし○○する人、あなた○○する人 【8位】ひと味ちがいます 【9位】泳げ、たいやきくん 【10位】オヨヨ 【10位】ひと味ちがいます★ ニクソンに代わった「クリーン・フォード」米大統領。それを輸入した「クリーン三木」。長島茂雄・巨人新監督の「クリーン・ベースボール」は最下位。いずれもさえなかった。有吉佐和子『複合汚染』が警鐘をかきならし、CM「チカレタビー」が、低成長時代の気分にマッチした。 |
昭和51年 (1976年) |
【1位】黒いピーナツ
【2位】灰色高官 【3位】限りなく~に近い~ 【4位】記憶にございません 【5位】はしゃぎすぎ 【6位】受け皿 【7位】会社主義 【8位】ぽっくり寺 【9位】クエックエッ 【10位】偏差値 ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕された。ここにかかげた10のことばのうち6つまでがロ事件がらみだ。村上竜『限りなく透明に近いブルー』が『限りなく黒に近い灰色』に化けた。「会社の生命は永遠です」みたいなのが「会社主義」。全日空、丸紅などもロ事件がらみの企業忠誠心にいろどられる。 |
昭和52年 (1977年) |
【1位】よっしゃ、よっしゃ
【2位】超法(規)的規範 【3位】円高 【4位】魚ころがし 【5位】ルーツ 【6位】モラトリアム人間 【7位】カラオケ 【8位】ジョギング 【9位】普通の女の子になりたい 【10位】翔んでる 昭和51年(1976年)の年末のロッキード選挙で自民党は大敗、野党には連合構想が浮かぶ。社会党の江田三郎の社公民工作は、江田の離党、社民連結成に至るが、急死によって幻と化した。ロッキード事件公判の冒頭陳述で、田中角栄被告のことばとして「よっしゃよっしゃ」がのべられ、流行語となる。中年にとくに人気の「カラオケブーム」はじまる。 |
昭和53年 (1978年) |
【1位】全方位外交
【2位】アーウー 【3位】フィーバー 【4位】地方の時代 【5位】不確実性の時代 【6位】窓ぎわ族 【7位】嫌煙権 【8位】足切り 【9位】口裂け女 【10位】ワンパターン この先よくわからん。不確実性の時代あるいは逆転の時代。「アーウー」大平政権誕生もそのひとつ。「窓際族」の不安の中に世の中の実態がよく反映している。虚構の「ナンチャッテおじさん」騒ぎを笑ってばかりいられない。「口裂け女」が口コミによって全国の女の子に伝わる。 |
昭和54年 (1979年) |
【1位】ウサギ小屋
【2位】省エネ 【3位】沈黙は愚者の知恵 【4位】カラ~、ヤミ~ 【5位】激~ 【6位】関白宣言 【7位】インベーダー 【8位】エガワる 【9位】ダサい 【10位】ジャパン・アズ・No1 【10位】オバン、オジン★ 【10位】ギャル★ 鉄建公団、各省庁、地方自治体、国際電電(KDD)に至るまでカラ出張、カラ勤務、ヤミ手当が明るみに出た。自民党内の対立で国会はカラカラと空転。解散、自民党大敗、自民党から2人の首相候補が立つという40日抗争。市民は目を赤くして働き、「ウサギ小屋」で暮らす。 |
昭和55年 (1980年) |
【1位】それなりに
【2位】赤信号、みんなで渡ればこわくない 【3位】昭和ヒトケタ病 【4位】40にしてマドモアゼル 【5位】カアチャンヤスメ、ハハキトク 【6位】ピッカピカ 【7位】カラスの勝手でしょ 【8位】竹の子族 【9位】ナウい 【10位】買春観光 【10位】クレイマー家庭★ ハプニング解散、衆参両院同日選挙、大平首相の急死、鈴木善幸新内閣の誕生というハプニング政治の年だった。ところが、庶民はみんな中流意識で「それなりに」暮らしている。そこへテレビCM「それなりに」が大流行。お客さんをからかうようなCMが受け入れられるほどになった。 |
昭和56年 (1981年) |
【1位】談合列島
【2位】ハチのひと刺し 【3位】粗大ゴミ 【4位】熟年 【5位】えぐい 【6位】青い鳥症候群 【7位】クリスタル族 【8位】ウッソー、ホントー、カワユーイ 【9位】ぶりっ子 【10位】んちゃ 「何となくクリスタル」に明けた昭和56年(1981年)、「よろしいんじゃないですか」「んちゃ」「えぐい」「ぶりっ子」がはやる。東京芸大はバイオリンの鑑定書のようなもの、教授のようなものでゆらいだ。「財界」「アマチュアリズム」のことばの存在感がうすまり、『のようなもの』という映画さえできた。公共事業をめぐる政官財癒着の「談合列島」。 |
昭和57年 (1982年) |
【1位】奥の太道、角栄新幹線
【2位】侵略と進出 【3位】コンパチ商法 【4位】逆噴射 【5位】なぜだ! 【6位】横井する 【7位】ネクラ(根暗)、ネアカ 【8位】ルンルン 【9位】おいしい生活 【10位】ほとんどビョーキ 【10位】カ・イ・カ・ン★ 【10位】教科書問題 羽田空港日航機事故から「逆噴射」。ホテルニュージャパン火災から「横井する」、三越古代ペルシャにせ秘宝事件から「なぜだ!」というふうに事件がらみの風俗語が続出した。「ZENKO WHO?」で登場の鈴木首相は「ZENKO WHY?」で退場。タレントのタモリが「ネクラ」「ネアカ」を連発してはやらす。単純二分法のわかりやすさからか。 |
昭和58年 (1983年) |
【1位】不沈空母
【2位】ロンとヤス 【3位】勝手連 【4位】軽薄短小 【5位】おしん 【6位】イートモ 輪! 【7位】気くばり 【8位】いかにも一般大衆が喜びそうな 【9位】ニャンニャン 【10位】発展途上人 【10位】タコが言うのよォ★ 田中角栄元首相にふりまわされ、NHKテレビ小説「おしん」にわいた年であった。田中被告は懲役4年、追徴金5億円の1審判決、結局、田中判決選挙へと突入した。田中被告は22万票の大量得票で当選したが自民党は36議席減。粒々辛苦は「おしん家康隆の里」という成句になった。「おれは男おしん」と田中被告。 |
昭和59年 (1984年) |
【1位】違憲総選挙
【2位】パフォーマンス 【3位】かい人21面相 【4位】マル金、マルビ 【5位】スキゾ・パラノ 【6位】イッキ、イッキ 【7位】ちゃっぷい 【8位】ピーターパン症候群 【9位】くれない族 【10位】コマーシャリンピック 【10位】普通のオバサン★ 「ロンよ」「ヤスよ」と言いかわすレーガン米大統領と中曽根首相がともに再選した。さまざまな日米摩擦も一応の安定軸がととのった形。そしてこの年最大の呼び物は「かい人21面相」事件などというと芸能めくが、事件の芸能化、演劇化がならいとなってしまった。いわゆる三浦和義のロサンゼルス疑惑も、テレビ、週刊誌が報道を芸能化してしまった。 |
年 | 流行語ランキング |
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昭和60年 (1985年) |
【1位】イッキ
【2位】新人類 【3位】金妻 【4位】猛虎フィーバー(阪神タイガース優勝) 【5位】投げたらアカン 【6位】ファミコン 【7位】スーパーマリオ 【8位】円高 【9位】ビックリマンチョコ 【10位】プラザ合意 【11位】タッチ 【12位】ハンディカム 【13位】夕焼けニャンニャン 【14位】ニュースステーション 【15位】ひょうきん族 【15位】角抜き 【15位】ダッチロール 【15位】ロス疑惑 【15位】ペーパー商法 【15位】ブレンドワイン 【15位】分衆 【15位】FFされる 【15位】新フーエー法 【15位】テクノストレス 【15位】エイズ 【15位】やらせ プラザ合意で円高が急激に進んだ。それまでのようにモノをつくれば輸出できるという神話が崩れ日本経済の基礎を立て直さなければならないという意識ができた。製造業は苦しさの中から技術開発に活路を見いだそうとした。ヒット商品番付ではハイテク関連が上位に並んだ。 商品コピーでは「いつかはクラウン」という言葉が消費者の上昇志向をくすぐった。イッキ飲みを表現する「イッキ、イッキ」が大流行。いじめが社会問題化した。 8月、航空史上最悪の日航ジャンボ機墜落事故が発生。乗客・乗員500人が犠牲になった。その中には歌手の坂本九さんや阪神球団社長の名前もあった。 お年寄りを対象に金地金の現物まがい商法で1500億円を集めた豊田商事が破産。逮捕直前の社長が白昼刺殺されるという事件が起きた。 阪神タイガースが21年ぶりに優勝。吉田義男監督が復帰。チームのムードが一変する。掛布、バース、岡田、真弓の強力打線が爆発、リリーフ陣が抑えるというパターンが定着した。 日航ジャンボ機墜落520人死亡、国鉄同時多発ゲリラによって首都圏国電マヒ。TBSドラマ「金曜日の妻たちへ」から「金妻」は不倫の恋の代名詞。 |
昭和61年 (1986年) |
【1位】ファミコン
【2位】家庭内離婚 【3位】亭主元気で留守がいい 【4位】おニャン子 【5位】アークヒルズ 【6位】やるっきゃない 【7位】プッツン 【8位】グルメ 【9位】このままじゃ生きじこくだ 【9位】いじめ 【9位】国際化 【9位】空洞化 【9位】ニューリーダー 【9位】寝たふり解散 【9位】族議員 【9位】アホちゃいまんねん、パアでんねん 【9位】チェルノブイリ 【9位】貿易摩擦 【9位】ニックス諸国 【9位】世界最大の債権国 【9位】大人になりたくない 【9位】企業戦士 【9位】ビジネス漫画」 【9位】レンタル貴族 【9位】新・新人類 【9位】ファミコン世代 【9位】うわさ社会 【9位】モーニング・シャンプー 【9位】ぶりっこ 【9位】帰宅部 【9位】悪魔シール 【9位】お坊ちゃん、お嬢さん 【9位】おタカさん 【9位】ダイアナ妃 【9位】主婦の五月病 【9位】じゃぱゆきさん 【9位】分煙 【9位】深夜王国 【9位】25時(午前1時)、26時 【9位】ノリ 【9位】ナイトテニス 【9位】ナイトデパート 【9位】写ルンです 【9位】使い捨て時代 【9位】養毛剤 【9位】電池カミソリ 【9位】知価革命 |
昭和62年 (1987年) |
【1位】財テク
【2位】地上げ屋 【3位】地価高騰(暴騰) 【4位】朝シャン 【5位】金満社会 【6位】サラダ記念日 【7位】NTT株 【8位】シングル、非婚 【8位】JR 【8位】第二電電 【8位】マルサ 【8位】売上税、新型間接税 【8位】日米半導体摩擦 【8位】内需拡大 【8位】円高 【8位】足切り(新大学入試) 【8位】若王子さん 【8位】ブラックマンデー 【8位】懲りない〇〇 |
昭和63年 (1988年) |
【1位】リクルート事件
【2位】自粛(昭和天皇の容体悪化後) 【3位】ペレストロイカ 【3位】スーパードライ 【3位】5時から男 【3位】しょうゆ顔 【3位】カウチポテト 【3位】ボジョレ・ヌーボー 【3位】DINKS(子供のいない共働き夫婦) 【3位】ジャパン・バッシング(日本叩き) 【3位】貴族 【3位】今宵はここまでに…(中井貴一主演のNHK大河ドラマドラマ「武田信玄」より) 【3位】シーマ(日産の高級車) 【3位】カネ余り現象 【3位】消費ブーム 【3位】企業のリストラクション 【3位】小林よしのりの漫画「おぼっちゃまくん」の茶魔語「おはヨーグルト」「すいま千円」「こんばんワイン」 【3位】マスオさん現象 【3位】ボディコン 【3位】ウオーターフロント娘 【3位】アグネス論争・・・タレントのアグネス・チャンさんが子連れでテレビ局に現れ、その是非が応援団入りみだれての論争になった。 高級車ブームに火をつけた「シーマ」が日産自動車から発売されたのは、1月。最高510万円という価格にもかかわらず、3月は5300台、三月6500台と、目標販売台数の月3000台を大きく上回った。 |
昭和64年 (1989年) |
【1位】自粛
【2位】「NO」と言える日本
昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御(ほうぎょ)。平成になった。 |
昭和中期は、敗戦の被害と混乱を乗り切り、高度経済成長を続けました。国民は「三種の神器」にあこがれました。経済が急速に発展するなかで、新しい言葉が次々に生まれました。
「公害」という言葉も、昭和40年に生まれた新語でした。昭和末期になると、バブル経済に突入し、「狂乱地価」のような言葉が次々と生まれました。(参考:有宗良治)
日本の流行語といえば、「新語・流行語大賞」が有名です。この賞ができたのは1984年(昭和59年)でした。第1回の受賞語は「オシンドローム」「鈴虫発言」「教官!」などでした。当時のあれこれが目に浮かびます。その年の流行語には「疑惑」も選ばれていました。週刊文春の連載記事「疑惑の銃弾」をきっかけに、メディアは「疑惑」を報じ続けました。いわゆる「ロス疑惑」です。米国のロサンゼルスが舞台でした。1981年に日本人夫妻が銃撃され、妻は一年後に死亡します。夫が巨額の保険金を目当てに誰かに頼んで銃撃させた、として日本で起訴されました。殺人罪については一審有罪、二審逆転無罪となり、最高裁で無罪が確定しました。
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