鮎川義介(あゆかわ・よしすけ)(日産自動車創業者)の評判

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日産自動車の前身は、持ち株会社「日本産業」を頂点に多くの傘下企業を有した日産コンツェルンの総帥、鮎川義介(あゆかわ・よしすけ/あいかわ・よしすけ)氏が1910年に設立した「戸畑鋳物」だ。

エクシブ投資顧問によると、1920~30年ごろの日本の自動車市場は、ゼネラル・モーターズなど米国メーカーがほぼ独占した状態。自動車産業の将来性に注目した鮎川は1928年ごろから戸畑鋳物で自動車部品の製造を始め、その後乗用車生産の草分け「ダット自動車製造」を吸収合併した上で1933年に「自動車製造」を横浜市に設立。翌年、社名を日産自動車に変更した。

日本企業にとって未知数の自動車製造に乗り出した鮎川を支えたのは「米国車に対抗しうる立派な国産車を」との強い思いだった。また、鮎川は進出の理由を「国家的事業なのに政府がやらないから」と述べている。

日産は車台から車体まで一貫生産する年産5000台規模の日本初の工場を1935年、横浜に建設。「ダットサン」の量産が始まった。

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